2022年12月01日 秘密結社 presents 仮面展「兆嗣-OMEN-」mask exhibition
2022年10月15日 第五回幡ヶ谷仮面展
2022年07月01日 秘密結社 presents 舞台「プロメテウスの石皿」
2021年08月01日 サイト公開

代筆屋、古物商、見世物小屋経営を経て、サーカス「ニコラス・ジョーンズ・サーカス団」を発足、財をなす。
饒舌で魅力的な男性であったとされる反面、詐欺師・誇大妄想狂とも言われ、反感を買う事が多かった。
当時の新聞取材記事によると、「イギリス王族の血縁者である」「異世界に行った事がある」等の発言が見られるが、ニコラス本人はこれを捏造として否定している。
しかし、彼は見世物小屋時代において、マクマーセット病患者(当時は石皮病と言われた)を「異世界のモンスター」と偽り、客に見せていた事例がある為、反論に信憑性はない。
見世物小屋時代に知り合った女性と結婚し二児を設けるも、サーカスで火災が発生し、妻・子供を亡くす。この火災は放火もしくはサーカス団員による焼身自殺が原因ではないかと言われたが定かではない。
ニコラス自身は酸を使用し自殺を図るが失敗に終わり(家族の死が原因ではないかと言われている)、その後精神病院に入院し、同精神病院にて1947年没。
クランプ通り(ニコラス自身はニコラスジョーンズ通りと呼んでいた)沿いの自宅であるアパートの一室には多くの骨董品や仮面、それにまつわる手記(全13冊)が残されていた。しかし、大部分は大家により売却、または処分される。
サーカスはチャールズ・ランカスターなる人物に売却される。数年後、サーカスの権利を主張するニコラス・ジョーンズを名乗る人物がランカスターの元に訪れるが、顔の大部分が重度の火傷で覆われており、ランカスターはニコラスだと確信が持てず、ニコラスと名乗る人物も本人証明が出来なかった為、権利の譲渡はされなかった(仮に本人である証明がなされたとしても、書類上は合法的にランカスターの所有であるが)。
当サイトに掲載している仮面は、独自に入手され、ニコラスの手記、写真を元に鑑定された物である。
1899年 アメリカ・コネチカット州に生まれる。幼年期は神童と呼ばれた。(後年ニコラス談) |
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1913年 飛び級で大学に入学。(後年ニコラス談) |
1914年 第一次世界大戦勃発。徴兵検査で不合格となる。「入隊試験があまりもくだらなかった為、入隊しなかった」と発言。(後年ニコラス談) |
1918年 第一次世界大戦終結。代筆屋業開始。小説を執筆したとされるが、発行されていない。 |
1919年 古物商等、職を転々とする。古物商時には偽物を売りつけたとして客とトラブルになっていた。 |
1925年 「ニコラス・ベーカリーアンドバーガーショップ」経営。好評だったが、29年閉店。 |
1928年 窃盗犯を捕まえたとして表彰される。 |
1930年 最初の仮面を手に入れたとされる。(手記に記載・現存せず) |
1931年 見世物小屋「アナザー・ワールド・ショー」経営。「異世界で捕獲したモンスターが見れる」と宣伝。 |
1933年 出資者の協力により「ニコラス・ジョーンズ・サーカス団」発足。 |
1933年 妻サラ(見世物小屋時代「ストーンレディ」として出演)と結婚。二児を儲ける。 |
1936年 タブロイド紙「ニューヨーク・エクスプレス」にインタビュー掲載。発言内容を捏造されたと主張。裁判には至らなかった。 |
1937年 タブロイド紙にサーカス団出資者との恋仲説掲載。後日訂正記事掲載。 |
1938年 皮膚治療研究団体に多額の寄付。 |
1938年 サーカス団にて火災発生・妻、子供死亡。(火災には団員自殺説・放火説あり)C・ランカスター主導により、サーカス団は経営続行、ニューヨークに拠点を移す。 |
1938年 クランプ通り三丁目のアパートに移住。周囲の人間にはアパート全体を購入したと話していたが、実際には一室のみの賃貸。 |
1939年 自宅近所での夜間徘徊を多数目撃される。 |
1941年 太平洋戦争勃発。入隊志願。(精神不安定と判断され、受理されず。が、真贋不明の戦地写真あり) |
1945年 太平洋戦争終結。酸による自殺未遂。顔面に重度の火傷を負う。 |
1945年 精神病院に入院。他の入院患者に対し、フレンドリーに接していた。 |
1946年 精神病院にて2名自殺。「ニコラスがやった」と患者による報告あり。(患者は虚言癖であった為、信用されなかった) |
1947年 精神病院にて没。 |
1947年 アパートにて仮面・手記発見。ニコラス・ジョーンズ財団発足。 |
1948年 チャールズ・ランカスターがサーカス団の経営権を取得。 |
1950年 ニコラスと同名の者がチャールズ・ランカスターの元を訪れ、サーカス団の権利を主張したとされる。 |
1952年 ニコラスの研究書「ニコラスジョーンズの真実」発行。 |
1953年 ニコラスをモデルにした小説「失われた仮面」(J・デビット著)発行。 |
1972年 ニコラスの研究書「ニコラス・ジョーンズの虚構と真実」発行。 |

神話にある赤い牛を模した仮面です。顔は人の様ですが体は四つ足で、簡単な人語を喋るこの牛は神の使いとされており、様々な助言を行ったと言われています。祭りで使用し、実在の牛に人と牛の血を混ぜた物を塗り、この仮面を被った人物が上に乗ります。
バチャムには同様の仮面が多く存在しますが、扇子状の部分に模様がある物は大変めずらしく、当時の地図であり、宝の地図であるという説がありますが、同様の地形は見つかっておらず、他には星図という説や男性器を押し当てた柄である説、と単なる焼きムラだという説があります。
ベリーズ国境付近の村で見つかった悪魔の仮面です。悪魔と言われていますがそれほど恐ろしい存在ではなく、女性へのイタズラを主体としており、祭りでは後ろから抱き着いてきたりしますが、その度に女性に強く棒で叩かれ、男性は日頃の行いを改めるそうです。この為、悪魔役の男性をやる人間は限られているそうです。
アウォジャ湿地帯付近に自生しているウニの木(ウンニィとも・Yunii)の中で、根本に罪人が生きたまま埋められた神木とされる樹木を使用した仮面です。魔除けの儀式に使用するうち、雨・湿気と晴天による乾燥を繰り返す事で、次第に顔に見える物になるそうです。
ユカタン半島にあるパレンケ遺跡で発掘されたマヤの翡翠仮面に酷似しており、何らかの関係があると推測されています。青い部分はターコイズの一種ですが、この地域にターコイズは存在しない為、交流があった文化の影響ではないかと言われています。実際にターコイズを使用した仮面はアメリカ南部のサン・アントニオ美術館に収蔵されている物が有名です。
牛糞を固めて焼いた仮面です。付近一帯では牛を大切な生物として扱っており、排せつ物も建築資材として使用していました。年に二回行われる牛の祭りで使用します。頭頂部の装飾は人糞を乾燥させた物で、死後牛に生まれ変わる為の願いが込められています。
大型のユリ科の花弁を乾燥させ、釉薬を被せた仮面です。このユリ科の花弁は大変厚く、食器・皿等にも使用していた記録があります。使用していた部族は現存しませんが、製法は残っていた為復元ました。
ニコラス・ジョーンズを研究するにあたり、重要な文献として「ニコラス・ジョーンズの真実」(The Truth About Nicolas Jones:1952年発行)と「ニコラスジョーンズの虚構と真実」(The Fiction And Truth About Nicolas Jones:1972年発行)があります。
「ニコラス・ジョーンズの真実」は当時としては細かく調べてある方ですが、出自が怪しい情報も見受けられ、元となった取材原稿や写真は消失していたり、後年になって別の写真である事が判明しています。
「虚構と真実」はそれを補完、及び修正したものですが、著者の私見も多くある為、現代においてはさらなる取材、研究が望まれています。
一部ではありますが、公平を期す為、サイト上部にある「ニコラス・ジョーンズの真実」からの抜粋に加え、「虚構と真実」からも抜粋しておきます。
どちらも現在では手に入る機会は大変少なくなっていますが(稀に神田の古本屋で高値で見受けられますが)、もし両方手に入れる事ができたなら読み比べてみるのも面白いかもしれません。

ニコラス・ジョーンズの死後、すでにアパートの大家によって荷物の大半は売却・処分されていました。いくつかの仮面と13冊の手記は処分前であった為、運よく友人の手に渡ります。
ニコラスを良く知るこの人物は、以前よりニコラスから異世界での仮面収集の話を聞いていましたが、いつもの妄想だと思っていました。しかし実際に仮面は存在し、手記のリアリティから、今までの妄想話は全て本当なのではないかという考えに囚われ、仮面の再収集を開始したといいます。常識的に考えれば、「異世界で仮面を入手した」と言った話を信じる事はあり得ません。これは友人(同性ですが、恋人だったのではないかと筆者は推測します)が、ニコラスを失ったところが大きかった様です。
再収集当初は友人による個人的活動でしかありませんでしたが、サーカス設立時の出資者である人物の支援もあり、活動が活発化していきます。しかしその活動については不明な部分も多く、財団化し大きくなるにつれ、不透明な資金源や活動、収集方法の強引さが目立ち始め、「秘密結社である」と陰謀論めいた主張をする人達の出現に繋がっていきます(もちろん当時の噂話であり、現在財団は活動の全てを公表、仮面の収集は全て合法的に行われています)。
これに加え、ニコラスの死後、ニコラスを名乗る人物に会ったとされるチャールズ・ランカスター(ニコラス・ジョーンズ・サーカス団の権利所有者)の話が一人歩きし、ニコラス生存説となります。いつしかニコラスの出生記録は捏造されているとされ、ニコラスのインタビュー(サーカス団経営当時)において、タブロイド紙に掲載された写真は他人であるとして、ニコラスの存在は小規模ながらフォークロア化していきます。
これらに目を付けたJ・デビットによるニコラスを題材にしたジュブナイル小説「失われた仮面」が執筆されており、読まれた方も多いと思います(J・デビットの名前から、多くの方はサリンジャー執筆と勘違いしての事だと思いますが)。また、他者著作作品にも遊び心として登場人物の一人として書かれる事があり、その場合多くは眉目秀麗であり、皮肉屋として登場します。
しかしニコラス本人はそういった一面は皆無だったそうです。小説内で書かれるニコラスはあくまでフィクションであり、出生記録も残っており、タブロイド紙に掲載された写真についても、やはり取材記録が残っており、写真も保管されています。
他にも「自殺未遂による顔面の火傷により仮面収集に執着した」という説がありますが、実際には仮面の話を友人が聞いたのは自殺未遂以前であり、以降ニコラスは精神病院に入院している為、ありえません。
失望されるかもしれませんが、ニコラス・ジョーンズは、実際には少々エキセンドリックな性格であったとしても、決して魅力的とは言い難く、いたって普通の「誇大妄想狂」であったという事です。
最後に、ジョン・F・ケネディやマーク・チャップマン等、ある種の有名人がニコラスの仮面を所持していた説は荒唐無稽であり、語るに値しません。ニコラス・ジョーンズの真実とは、彼の収集した仮面が実在し、今もどこかで眠っているという事のみです。